二月六日に日銀の田村直樹審議委員の長野県金融経済懇談会における挨拶要旨が文書で公開されました。
要するに日銀の公報です。
わが国の経済・物価情勢と金融政策 ── 長野県金融経済懇談会における挨拶要旨 ── 審議委員 田村 直樹
この講演で、現在の日本経済の需給ギャップについて、非常に重要な説明があったので、ここに引用し共有したいと思います。
日銀公報の一部引用(需給ギャップについて)
以下は公報の引用です。

私は、わが国で物価上昇が続いている背景には、需給ギャップがプラス、 すなわち需要が潜在的な供給力を上回っており、物価に上昇圧力がかかって いることがあると考えています。
この需給ギャップについては、日本銀行が 推計しており――推計手法によって異なる値をとり得るほか、様々な推計誤差が含まれるため、幅を持ってみる必要がありますが――、足もとの値はゼロ近傍にあります。
では、足もとは、物価に上昇圧力も低下圧力もかからないような状況でしょうか。
需給ギャップを分解すると、労働投入 ギャップがプラス(人手が不足)になっているのに対し、設備がフルに稼働していないことを受けて、資本投入ギャップがマイナス(設備が過剰)となっています。しかし、設備がフル稼働していないのは必ずしも需要が不足しているからではなく、人手不足によって十分に設備を稼働させられないという側面も大きいと考えられます。
なお、企業の実感を示す短観のDIでは、 足もとで、労働力について「不足」と感じる企業の割合が大きく上昇する一方、設備について「過剰」と感じる企業はほとんどありません。
それらを加重平均したDIが、需給ギャップの日本銀行推計値の動きから大きく乖離しているのは、このような理由によるのではないかと考えられます。したがって、私としては、需給の逼迫度合は業種によって差はありますが、マクロ的な需給ギャップは既に実態的にはプラスの領域にあり、供給力不足が物価に上昇圧力をかけている状況にあるのではないかと思っています。
需要不足(デフレ状態)は既に終わっている
日本経済全体(マクロ経済)での、総需要と潜在供給能力の差は、長い間「需要不足」の状態にありました。
デフレ経済とは、需要不足のことで、アベノミクスは金融緩和と財政出動により、需要拡大を進めてデフレ脱却を目指す経済政策でした。
しかし、田村審議委員の説明を読む限り、現在の日本経済においては、既に需要不足の状態ではなく、供給不足(主に人手不足)の状況にあるということです。
需給ギャップの内訳には「労働投入ギャップ」と「資本投入ギャップ」があり、労働投入ギャップは労働者の需給バランスを、資本投入ギャップは生産設備の需給バランスを表しています。
「図表6 需給ギャップ」を見ると、労働投入ギャップは確かにしばらく前からプラス転換しています。
需給ギャップがプラスとは、潜在供給能力より需要の方が大きい状態を意味します。
一方、資本投入ギャップは、労働投入ギャップのプラス幅を大きく上回るマイナスになっています。
需給ギャップがマイナスとは、潜在供給能力より需要の方が小さい状態を意味します。
労働投入ギャップのプラス幅と、資本投入ギャップのマイナス幅を、平均すると総需給ギャップはマイナスになってしまいます。
しかし、市井ではどこの業界も人手不足で、タクシー業界などは、タクシー会社が抱えるタクシー車両を運転する運転手が不足しており、半数以上の車両が待機状態になっていると聞きます。
物価も上昇を続けており、需給ギャップがもしマイナスなら、なぜ全ての物価が上がり続けるのか説明ができません。
食料の物価上昇が最も深刻ではありますが、物価上昇しているのは食料だけではありません。
家電製品も建設コストも除雪サービスも、雇用者の賃金も上昇しています。
実質賃金も、年次ではマイナスですが、月次では既にプラス転換しています。
田村審議委員の説明は、この矛盾に対する回答になっていると言えます。
「資本投入ギャップがマイナスなのは、人手不足によって十分に設備を稼働させられないから」
この説明は、先のタクシー業界の実例とも整合性がとれる説明です。
もし、タクシー運転手を必要なだけ雇うことができれば、
全てのタクシー車両を稼働することができて、タクシー車両(設備)が余ることもなくなる。
余った設備は資本投入ギャップのマイナス分です。
これは、必要な労働者を供給することができれば、資本投入ギャップはプラスになることを意味します。
言い換えると、「資本投入ギャップがマイナスの原因は、労働投入ギャップがプラスだから」とも言えます。
以前から出ていた話
「需給ギャップは本当にマイナスなのか」という疑問は、一般人の中では結構話題に上っていました。
「需要不足と言うが、市井の現実は供給不足だよ。経済理論が間違っているのではないか?」
「インフレ目標は未達だが、既に完全雇用に達しているのではないか」
などという声は、財界や経営コンサル等の一部から、ちょくちょく聞こえていました。
市井の感覚としては当然だと思います。所属する業界にもよりますが。
田村審議委員の説明は「需給ギャップは本当にマイナスなのか」という疑問に対する的確な回答と言えるでしょう。
実は、以前の利上げの時に公開された「最近の金融経済情勢と金融政策運営」という植田総裁の講演文書にも、需給ギャップのプラス転換を匂わせる文言が含まれています。
最近の金融経済情勢と金融政策運営── 名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶 ── 植田総裁
以下は同文書からの引用です。
物価の基調を規定する主たる要因について点検すると、労働や設備の稼働状況を表すマクロ的な需給ギャップは、振れを伴いつつも、改善傾向をたどっている。 先行きの需給ギャップは、上記の経済の見通しのもとで、見通し期間終盤にかけては、プラス幅を緩やかに拡大していくと予想される。
この間、女性や高齢者による労働参加の増加ペースの鈍化もあって、労働需給はマクロ的な需給ギャップ以上に引き締まっている。
こうしたもと、多くの業種で企業が労働の供給制約に直面しつつある状況を踏まえると、マクロ的な需給ギャップが示唆する以上に、賃金や物価には上昇圧力がかかるとみられる。
人口動態の変化等に伴う人手不足感の強まりは、デジタル化などによる省力化投資の動きを加速させる可能性がある。
一方、そうした資本と労働の代替が十分に進展しない場合には、一部の業種における供給制約によって成長率が下押しされるリスクがある。
『女性や高齢者による労働参加の増加ペースの鈍化もあって、労働需給はマクロ的な需給ギャップ以上に引き締まっている。 こうしたもと、多くの業種で企業が労働の供給制約に直面しつつある状況を踏まえると、マクロ的な需給ギャップが示唆する以上に、賃金や物価には上昇圧力がかかるとみられる』
という説明は、「実は需給ギャップはプラス転換している」事を示唆しているようにも見えます。
『人口動態の変化等に伴う人手不足感の強まりは、デジタル化などによる省力化投資の動きを加速させる可能性がある。一方、そうした資本と労働の代替が十分に進展しない場合には、一部の業種における供給制約によって成長率が下押しされるリスクがある』
という説明は、今の経済成長に必要なのは、需要拡大ではなく、供給能力の拡大である事を示しています。
どちらも市井の実状を反映した内容だと思います。
おそらく、日銀内部でも、統計上の需給ギャップがマイナスである事に疑問を感じていたことを伺わせます。
需要不足(デフレ)の終了
田村審議委員の説明が正しいのなら、インフレ目標は未達でも、既に需要不足という意味でのデフレ状態は解消していると言えます。
まだ、「インフレ目標2%の長期的安定的達成」は満たされていませんから、経済政策としての金融緩和と財政出動は継続が必要です。
需給ギャップも適正値は、2%から4%程度と複数の経済専門家が説明していますから、需給ギャップのプラス幅は、もっと引き上げなければなりません。(2%が妥当のようです)
しかし、これまでのマクロ経済感の現状認識であった「需要不足」の概念は解消しなければならないと思われます。
今後の経済成長に必要なのは、「供給制約の解消」になります。
労働投入ギャップは今後も拡大していきますから、必要なのは「労働者を増やすこと無く、生産設備を稼働できる投資」ということになります。
先の植田総裁の、『人口動態の変化等に伴う人手不足感の強まりは、デジタル化などによる省力化投資の動きを加速させる可能性がある。一方、そうした資本と労働の代替が十分に進展しない場合には、一部の業種における供給制約によって成長率が下押しされるリスクがある』 という説明にあるように、 デジタル化などの省力化投資により、人手不足を解消する事が、マクロな経済成長に最も必要な事ということです。
これまでの「需要不足」の常識は捨てていく必要があります。
需給ギャップも適正値2%~4%を達成するには、供給制約を解消する必要があります。
有効需要拡大の為の財政出動を求める時代は終わったと言えるでしょう。
今回の田村審議委員の説明は、これまでデフレ脱却のマクロ経済政策を追いかけてきた人々の認識を転換する必要性を示唆していると思います。
私は、この件は、とても重要な事だと思うので、ブログで共有したいと思います。